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STORY

パリ、フォーブル店の 賑やかな屋上庭園を守る 庭師の物語

Yasmina Demnati

ヤスミナ・デムナティ

エルメスの庭師

パリ、フォーブル店の屋上にはとても賑やかな庭があります。そこでは、ヤスミナ・デムナティさんという庭師が30年もの間、まるで家族のように、草花の成長を見守り続けているのです。その象徴は一本のリンゴの木……。フォーブル店の屋上庭園に込められた想いを、ヤスミナさんとともに紐解きます。

庭とともに生きる。

――この庭をとても愛していますね、なぜ?

毎日仕事に来ては、この庭と会うんです。もう家族みたいなものですね、本当に。私はずっとこの庭にいますので、この屋上庭園は私の家族であり、ここは家なのです。

フォーブル・サントノーレ通り24番地 © Quentin Bertoux

――どうしてこの庭で働こうと思ったのですか?

もともと私はいつも戸外にいました。農家の人たちと干し草を作り、ブドウを摘み、果実の収穫の毎日で、自分が屋内で働くことなど考えられませんでした。アルプ=ド=オート=プロヴァンス県で育ち、その後パリに来たんです。パリの西郊外にあるサン=クルーでの研修ののち、先生たちの推薦をいただき、エコール・デュ・ブルイユで1年間研修を受けました。企業の専門家を招いた授業もあり、それが縁となり、造園会社で6年間働きました。造園家のエキスパートたちから多くを学びましたね。その後、エルメスに入り、当時の社長であったジャン=ルイ・デュマさんと出会いました。彼は屋上庭園に飛び出してきては、「あれはなぜ、これはなぜ」と私にさまざまな質問をするんですよ。「チューリップはなぜ赤なのか? 僕は白がいいな」って。すぐに波長が合いましたね。

©️ Pierre-Nicolas Durand

――庭との思い出は?

私が正式にエルメスに雇われた1992年のことですが、フォーブル店のリンゴの木は、その実をつけなくなりました。デュマさんは大あわてで私をオフィスに呼んで、それ一度きりでしたが、「リンゴの木をどうしたらいいだろう」と相談されました。そこで、私は庭に戻り、リンゴの木に言いました。「リンゴを作らないなら切り倒すよ!」って。翌春、その木は何百もの花を咲かせました。それにもかかわらず、結局できたリンゴの実はひとつだけ。賢くて面白い木だと思い、再び木に言いました。「ユーモアがあるね。切り倒さないよ」。それ以降、木は毎年リンゴを実らせているんですよ。

©️ Pierre-Nicolas Durand

――何がこの庭を特別なものにしているのでしょうか?

私がしてきたことは、デュマさんの考えを尊重し、今日まで受け継ぐということです。ただひとつ、私の意思でしたことがあるとすれば、庭に色とりどりの花を植えたことくらいです。デュマさんは白い花で統一することを望んでいましたが、もうひとつ大切だったのはシンプルであることでした。大振りで派手な花ではなく、自然と庭に咲くような花々。エレガンスはシンプルであることから生まれますからね。庭の手入れをする際には、植物たちをよく観察して、少し誘導はしますが、何より自然の流れに任せるようにしています。常に繊細さとシンプルさを追求することが、エルメスの庭のレシピなのです。

――どの季節の庭が好きですか?

生命の再生と花を象徴する春と、眠りにつく前に最も美しい色をまとう秋です。秋は、春の到来に備える季節ともいえます。球根を植え、草木の剪定をし、春が来たときにすべてが生まれ変わるように庭全体を整えます。何かひとつのことに一生懸命に取り組めば、相手もまた心を開いてくれるのだと思っています。それは植物であろうと同じなのです。

©️ Pierre-Nicolas Durand

――屋上庭園からのパリの眺めは好きですか?

どこにいても植物ばかり見ていますから…。

――庭師という仕事は永遠ですか?

定年はまだですが、そうなったら故郷のプロヴァンスに土地があるので、その手入れをするつもりです。エルメスが恋しくなるでしょうが、いつだって私の居場所は庭なのです。

©️ Pierre-Nicolas Durand

Yasmina Demnati

ヤスミナ・デムナティ

庭師であり、養蜂家。エルメスに入社してから30年以上の間、フォーブル店の庭園をはじめとするパリにあるエルメスの庭すべてを管理し、四季の移り変わりに応じた手入れを続けている。

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