ブックデザイナーの目で歩く
銀座メゾンエルメス
名久井直子
ブックデザイナー
何十もの版を重ねて
制作されるカレの美しさ
本の装丁やグラフィックの仕事をしているので、エルメスのスカーフ、カレのハッとするような素晴らしい配色や、細かい柄の再現性に目が釘付けになってしまいます。紙の印刷物では6色使うだけでも多いほうですが、カレには40色以上使われているものが普通にありますよね。ということは、1色ずつ40枚以上の版を重ねて色をのせているわけです。細かな柄もズレのないよう布の上に刷るのは気の遠くなるような繊細な作業です。
以前、『エルメスのえほん おさんぽステッチ』(講談社)の装丁をさせていただいたときにフランスのシルクプリントの工房を見学したのですが、職人さんたちの神業に驚かされました。その感動を、このカレ売り場に立ち寄るたびに思い返します。特に異なる色どうしが接する部分を見てみてください! 間に全くすき間がないということが、どんなにすごいことか。印刷好きの私には堪らない世界です。
馬にまつわるアートに
出会う楽しみ
銀座のメゾンエルメスにおじゃまするときは、いろいろな商品を眺めながらも、実は店内のいたるところに飾ってある絵画や写真を見るのが好きなんです。エルメスのルーツである馬具や馬にちなんだ作品が多いですよね。1階のカレ売り場には、馬の片側に両脚を揃えて乗るサイドサドルの貴婦人を描いた絵があって、とても魅力的です。2階のホームコレクションの売り場には、18世紀末の石版画家ルドルフ・アッカーマンによる、さまざまな馬車のデザインを描いた版画がシリーズで掛かっていました。当時はこんなユニークな形の馬車があったんですね。額装のマットの縁に馬車に使われたのと同じ色をチラッと効かせているのも、とてもおしゃれです。
私が若い頃から好きな写真家、テリ・ワイフェンバックの写真も2階の壁にかかっていました。こんな場所でお気に入りの作家の作品に出会えるとは。お買い物だけではなく、ふと視線を泳がせてアートと触れる豊かな時間を過ごせるのは銀座メゾンならではだと思います。
4階の馬具売り場では、1枚のエッチング作品を2色ずつ刷ったものが柱の4つの面に1点ずつ掛けられているのが面白いですね。すべての版を重ねる前の失敗作ならば捨てられてしまうでしょうから、これは版を重ねるプロセスを意図的に残したものでしょうか。モーリス・タコイという19世紀末から20世紀半ばに活躍した版画家のエッチングで、競馬レースの前の情景をとらえたものだそうです。このタコイというアーティストは当時エルメスのスカーフの原画も描いたそうで、メゾンの歴史を紡いできたデザイナーやアーティストたちの創作の一片を、こうして東京の銀座で見られるとは、感慨深いですね。
Naoko Nakui
名久井直子
1976年岩手県生まれ。2005年にブックデザイナーとして独立。2014年、第45回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。2022年、Best Book Design from all over the WorldにてBronze medal(銅賞)受賞。2022年に出版された『エルメスのえほん おさんぽステッチ』の装丁を手掛けた。