銀座メゾンエルメスでの
記憶の逍遥あれこれ
山口晃
画家
2階のレジ横にある
スカーフの原画レプリカ
手前味噌ですが、2020年にエルメスのカレ 《エルメスの職人たち》 の原画を描かせていただきました。馬とバイクが合体した架空の乗り物を中心に、エルメスの職人さんたちが働く様子をちりばめたものです。それも江戸時代の日本の絵師が外国の見聞録を懸命にイメージして描くも、随所に自国風が表れてしまった体の、まげを結った男や下げ髪の女がたすきがけでさまざまな工程を進めているというアナクロニズムの情景です。この原画制作のためにフランスにあるエルメスのシルク工房を見学したのですが、そのとき拝見した職人さんの仕事ぶりをぜひ描きたいと思ったのです。私の原画をもとに、工房のカラリストが配色パターンをいくつかつくってくださり、色違いの素晴らしいスカーフができあがりました。その原版を紙にプリントしたものが、実は2階のレジの脇壁にひっそりと飾ってあります。ご興味ある方はちらりと覗いてみてください。
エルメスの職人たち
階段の手すりと
ガラスブロックのグレートーン
エルメスの各フロアを結ぶ階段はガラスブロックの壁ぎわにあります。階段の手すりにはレザーのカバーが手縫いのステッチでかけられています(なんと贅沢な!)。その色は上品で穏やかなグレー(エルメスのみなさんはエトゥープ=モグラ色と呼んでいます)。ガラスブロック同士を繋ぐメタルパーツや、分厚いガラスのふちの鈍色とともに、さまざまなグレーのトーンがこの階段付近に折り重なって見えます。店内に広がる商品のカラフルな色彩からこのグレーたちに目を移すと、わずかに補色を感じさせながらやがて無彩色のやわらかさで目を受け止め休ませてくれます。神経をリセットさせてくれる心地よいグレーの色です。
ガラスブロックを見つめる
視線のフラヌール
銀座メゾンを覆うガラスブロックは、外の景色を確かに感じさせつつも、間近で覗くとブロック表面上のまだらな色彩として像を結びます。ふだんなら「これは景色だ」「車だ」「人だ」と認識できるものが認識できず、名付けようのないものにメタモルフォーゼしています。視線を動かしても像を結ぶ直前にその像は逃げていってしまい、私の目は名前のないものを見続けることになります。このガラスブロックに視線をフラヌールさせていると、目的と用途に従って生きているだけでは見えないものが見えてくるのです。
3ヶ月間、
夜を過ごした「フォーラム」
2012年に8階のアートギャラリー「フォーラム」で個展をしました。その時、洛中洛外図屏風から着想した『Tokio山水 (東京圖 2012) 』という幅約6m 60㎝の東京鳥瞰図に挑んだのですが、これが未完成のうちに展覧会が始まってしまいまして……。会期中も毎日、夕方に画材を持って会場にやってきて、夜通し描いて朝方に帰宅するという日々が約3ヶ月間続きました。夜中、誰もいない館内でトイレに行くのが怖かったこと、バックヤードに置かれた小さな冷蔵庫に夜食や飲み物を用意してくださったこと、夜中には警備員、朝方には清掃員の方がやってきて親しく言葉をかけてくださったことなど、さまざまなことが思い出されます。お向かいの不二家さんの、赤や黄色やオレンジ色に光るネオン広告がガラスブロック越しにぼんやりと見えた様子を今でも思い出します。夜が更けてそのネオンが消えると、私はいよいよ置いてけぼりを食ったような気持ちになったものです。
Akira Yamaguchi
山口晃
画家。日本美術史と大和絵の深い造詣と精緻な技術をベースとした日常と空想が交錯する作風で知られる。2013年第12回小林秀雄賞受賞。2012年に銀座メゾンエルメス「フォーラム」にて個展開催。2020年発表のカレ《エルメスの職人たち》の原画を手掛けた。
Photo: Yohei Sogabe
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