私はディミトリ・リバルチェンコ。35年前からエルメスのカレのデザイン画を描いてきました。私の大叔父、フィリップ・ルドゥは1950年代にエルメスのカレの代表的なデザインを多く手掛け、また父ウラジミール・リバルチェンコも同様に、大叔父亡き後エルメスのためのデザインを描いていました。幼い頃からいつも大叔父や父が何かを描いている様子を眺めていたので、ドローイングは私にとってとても身近なことでした。
ドローイングとは
人生そのもの
忘れもしない1990年6月、エルメスに打ち合わせに行く父に頼みこんで同行させてもらい、5代目ジャン=ルイ・デュマ氏に初めて自分のデッサンを見せた時のこと。当時20代前半の私が緊張して震える前で、彼は床の上に私が持参したビーチタオルのための3枚のデッサンを並べ、低い椅子に腰かけて眺め、立ち上がっては眺め・・・・・・。ずっと無言です。最終的に3枚目のペリカンの絵を取り上げ、モチーフの部分を切り抜いてコピーし、残った余白の紙を差し出して、「ここに今日の日付と名前を書きなさい」とおっしゃいました。これがエルメスで採用された私の最初のデザイン画となりました。

©️Studio des fleurs
あれから35年、年間テーマからインスピレーションを得てさまざまなカレのデザインを描いてきました。今年のテーマ「ドローイング - 描く - 」からは《プリーズ・ホールド・ザ・ライン》が生まれました。ある時、仕事でエルメスに電話をかけると「電話を切らずにお待ちください」と言われ、待つ間に手持ち無沙汰なので、ふと、4色ボールペンで手近な紙にいたずら描きを始めました。こういうことって、誰にでも経験があると思います。無意識にボールペンを走らせたその絵をそのままカレのデザインにしました。使っている色は4色ボールペンの赤・緑・青・黒のみ。これもドローイングなのだという、私なりの年間テーマに対する答えです。

カレは平面ですが、異世界へといざなってくれる窓でもあります。それをさらに3次元空間で表現したのが銀座メゾンエルメスのウィンドウです。正面のウィンドウはマーカーを使い、2週間かけて一部を除きすべて手で描きました。

カレも、ウィンドウディスプレイも、すべてのデザインは「手で描く」ことから始まります。描くことは私の人生の本質です。ドローイングは私自身を表現したり、何かの解決を導いたりします。コミュニケーション手段でもあり、人々に驚きや喜びを与え、感情を揺り動かすもの。言葉が通じなくても万人に伝わるユニバーサルなものです。描くこととは自由で、終わりがない冒険の旅。やってみて失敗するということの試みでもある。つまり人生とイコールなのです。

ディミトリ・リバルチェンコが手掛ける銀座メゾンエルメスのウィンドウディスプレイ「プリーズ・ホールド・ザ・ライン」は2025年9月2日(火)まで。
私が何かを描くときに大事にしているのは「モビリティ」−動的であること。凝り固まった考え方から解放され、自由で流動的でありたいのです。つねに好奇心を持って動き回る子供のような目を持っていたい。ちょっと視点をずらしてものごとを捉えることでポエジーやユーモアや異なる価値観が生まれます。「モビリティ」は私が描く際に欠かせない何かなのです。

Dimitri Rybaltchenko
ディミトリ・リバルチェンコ
パリを拠点に活動するアーティスト。大叔父のフィリップ・ルドゥ、父のウラジミール・リバルチェンコもエルメスのカレのデザインに長く携わった。ディミトリ自身は1990年以降、カレのデザインを多く手掛けるほか、腕時計の文字盤やモバイルバッテリー《ヴォルトH》のデザインも手掛けている。